桑野教授の思いで
2003年3月桑野教授退官記念寄稿
桑野先生へ感謝
子を持って知る親の恩という。私は大学院を出てすぐに大分医科大学の助手として桑野先生の門下に入った。昭和60年の頃である。私はまだ26歳で学生気分がぬけ切らない。当時を知るヒトに言わせれば”背が高くて風に揺られるようにふらふらしている”という始末だった。理学部の大学院で好き放題していたせいか朝は起きられないし言うことはきかない。生意気放題の若造だった。そんな私に世間の常識を教えて下さったのが桑野先生である。よく怒られたが今になってみると当然のことばかりだ。朝きちんと職場に来る。事情があって遅れるときはきちんと連絡する。研究のこと、得に研究費の使い方はよく相談する。どれも当然のことである。しかしなかなか守れなかった。自分は一人前だという自負もあったのかもしれないが、教授からみればとんでもない奴だったと思う。しかし先生に鍛えられたおかげで社会人としても生きていけるようになった気がする。今私も当時の桑野先生の年齢に達し久留米大学を経て九大生医研でラボを構えることになった。しかし自分でラボを運営するようになってはじめてその苦労が理解できたのだ。自分でラボを持って多くの若者と接するようになって”なんてしつけがなってない”と思う学生が多い。しかし自分のことを振かえると強くも言えない。またラボ運営では研究費はもとよりラボ内の人間関係の調整など苦労は絶えない。下の者にはわからないボスの苦労があるものだ。大分医大当時はおそらく今のように研究費が潤沢ではなく、様々な苦労
をされたと思う。
大分ではよくいっしょに山登りをしたのが今でも楽しい思い出である。私は脇目もふらずかけあがるタイプ。由布岳など休むことなく駆け上がっていた。先生も実は同じタイプだと思うがそのころはまだ私は若く先生よりも先に頂上に到達し得意になっていた。登山の後大分各地の温泉につかるのが何よりの楽しみだった。近頃私も学生と山に登ることは少なくなったが、以前由布岳に登った時どうにも息苦しく、学生達を先に行かせた。そのとき桑野先生の胸中を察せざるをえなかった。
山頂からの景色は15年前とかわりなかった。”この風景は昔と全然変わらない”と私が言うと、すかさず学生に”変わったのは先生の歳だけですよ”と言われてしまった。もし私の脚がもつのならもう一度先生と山頂目ざして競争してみたいものだ。
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20代−1
昨日生化学の桑野教授(現久留米大学)の最終講義でした。その時に私が大分で出したデータを紹介してくれました。当時は抗体もなく電気泳動も大きな装置 で1日がかりでした。私がラボではじめてペプチド抗体やLDLの抗体をつくってウエスタンブロッテイングをしました(右図。Western-blotとligand-blotを組み合わせた労作。当時はECLはなく発色。一回きりの実験だった。デンシトメーターの定量もチャートをハサミで切って重量を測るというとんでもないローテクの時代だった。)
もちろん手引書や論文をみて試行錯誤
で確立しましたがそのときの経験からひとができることなら大抵のことはなんとかできるものだという自信がつきました。本格的に研究者をめざすなら自分で考
え自分で技術を磨いて行くことが必要です。そしてはじめて自分のアイデアを試し実現できる。大学レベルの研究の醍醐味は何かというと自分の創意工夫をすぐに試し、検証できることでしょう。そして自然の謎に挑戦できる。現実は成果を要求されたり期限があったりでそう簡単ではないのですがそれでもまだ一般のひと
よりも夢を追えるし自分の能力をストレートに発揮できる。たとえ小さなことでもサイエンスの世界に自分の発見を残して後の人たちに役立てられればこんな幸
せなことはないでしょう。桑野先生が偉いなと思うのは多くの若いひとたちに研究への情熱を身をもって教えたことだと思います。先生が研究に参入した頃は分子生物学の勃興期で多くの若者が大腸菌の 世界に飛び込んだ。おそらく毎日のように新発見がトップジャーナルをにぎわせたことでしょう。桑野先生はそのころの情熱を身もって私達に伝えてくれました。それだ けでも桑野先生は教授として十分立派な価値があったと思います(失礼)。私のころは癌遺伝子とシグナル伝達が結びついてsrcとかrasとかp53、Rbが大流行でした。 それに少し遅れて私はその世界に参入したのですが留学してボルチモアとかワインバーグとかとじかに話ができて少しだけその熱気の残りを感じました。今はそ んな大航海時代や西部開拓の時代に匹敵するような大きなうねりがなく、なかなか若い人たちにサイエンスの研究の魅力を伝えられないのが残念ですがこの世界が それだけ成熟しつつあるということでしょう。いや新しい革新的な潮流の芽はすでにどこかにか生まれているにちがいありません。それを発掘し大きな流れにす るのがこれからの若いひとたちの役目なのでしょう。私は私がこの世界に飛び込んだ頃の熱気を若い人たちに伝えることが使命なのでしょう。ぜひ頑張ってください。