リトリートにて
毎年繰り返される嘆き節
今日のリトリートの発表では免疫関係やシグナルは少なくとも3つはあった。それなのにうちからの質問はゼロ。しかたないので風邪でフラフラの身体にむち打って自分で質問にたった。
毎年繰り返される同じ光景にむなしさを覚えずにはいられない。
他の研究室のようにひとつは質問しないと破門くらいの厳しさで望むべきなのか。しかしそれでいいのか?質問は本当に自分のなかでわき上がった疑問をぶつけて発表者からの答え聞いて自分の考えを修正したり納得したりするためにある。質問によって他の聴衆も講演内容の理解が深まることがよくある。だから質問は価値あるものであって決して躊躇するべきものではない。できれば本当に自らの抑えきれない好奇心や疑問に自然にせかされて質問に立ってほしい。それがサイエンティストだろう。
ただ慣れていないと恥ずかしい、ということもわかるがそのために日々の教室内のセミナーで質問をするように、また答える練習をするように言っている。昨年もその前年も言った。無理に指名することも続けている。これができないと一人前の研究者にはなれない。それは断言してもいい。留学して研究職でやっていきたいという者もいる。だがそんな意気込みがあってもこのような機会に質問に立てないのではまあ先は知れている。会社でも大学でも同じ。プレゼンと質疑応答は研究者であれば一生ついてまわる。
修士の1年生だって活発に質問している。質問するのが恥ずかしいというより彼らにできていることが自分にできないことのほうが恥ずかしくないか。
COEから来られた先生は生医研は若手が列をなして質問をする、すごいですね。と感心しておられたが本当にそうなのかは本当のところは私もよくわからない。しかしマイクの前に立って質問することはその人の成長に必ずプラスになるだろう。
無理に質問しろとはいわない。質問のための質問を考えるのもどうかとも思う。やはり講演内容がある程度はわからないと質問もしようはない。しかしEAEがでてきてうちから誰も質問しないのはやはり私の教育が間違っていたとしか言えない。私は人を育てるのが仕事だと思ってきたが失格だったということだろう。